〜 パリの扇 〜
穏やかな春の日差しの中で、19世紀始めの貴婦人は流行の白いギリシャ風ドレスとレースの扇をアクセサリーに過ごしました。
ドレスは時間と費用をついやしインドから輸入したアイヴォリーのモスリン製、アンピールドレスと呼ばれ、胸の下で紐が結ばれたっぷりとしたギャザーが裾まで広がり神話の女神のようでした。
19世紀、レース技術の頂点を極めていたベルギーのニードルポイントレース。
当時のリネン糸は信じられないほどの細さで制作にはルーペを使いました。
厳しい寒さのフランドルの国に育ったリネン繊維は、歯でしごくことで髪の毛の10分の1と言われる極限までの細い糸に変わりました。
そして妖精が創ったような薄いレースが作られました。
全て1本の糸で一目づつ針で作られますから気の遠くなるような手仕事です。
熟練の人でも一日に数センチしか作れず、全て一人で作ろうとするとゆうに1年はかかります。
しかし、19世紀にはレース作りは産業として分業化されていましたから、数人で一つの作品を仕上げました。
貴族からの注文に応じて作る訳ですから、作る方も時間がかかりましたが注文する方も出来上がるまでの長い待ち時間がありました。
美しい物は時間と手間を惜しんでは不可能なのですね。
このベルギーレースはまるでガーゼのように見えるので、「ポワン・ド・ガーズ」と呼ばれました。
このレースとアンピールドレスは大流行、冬はインドのカシミール織りの大きなストールで全身を包みましたが、風邪で命を落とした女性も数知れずでした。
それほどまでに美にこだわった当時の人々の気持ちは測りしれませんね。
今でも綺麗な状態で残っているレースの扇があり、ヨーロッパでもコレクターも多いオブジェの一つです。
「アンティークレース物語 13」 へ続く 〜
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